プログラム

臨床疫学の歴史と我が国の医学研究の展望

1800年代後半、世界の医学研究を牽引していたドイツ医学は、多くの先進国から注目を集めた。当時ちょうど明治維新時にあった日本は、西洋医学を導入する際に、ドイツ医学のみを取り入れる事を決定した。米国も同様に、多くの留学生をドイツに送り、また優れた研究者を米国の研究施設の主要なポジションに付けた。ロックフェラー研究所は、野口英世を副所長に招聘している。
さて、150年を経過した現在、両国の医学研究のレベルとアウトプットはどのようになっているだろうか?
世界のトップジャーナルのシェアを見ると、基礎研究において米国は日本の約2倍である。これは両国の医師や研究者の数の違いを勘案すればそれほど大きな差ではなく、健闘しているといえよう。一方で、人を対象とした臨床研究では、米国が20%、日本は2.5%と、約10倍もの差が開いている。しかも臓器別専門領域によってほとんど差は無く、一様に2.5%-3.0%である。これは医師数で調整しても説明できる差ではない。プライマリケアにあっては、さらに一桁少ない。(青木. プライマリケア連合学会誌)
同時期に、同じドイツ医学を導入しながら、日米でなぜこのような差がついてしまったのだろうか?  2004年に導入された初期研修医の必修化とマッチングの導入による若手医師の大学離れに起因すると言う意見もある。しかしこれ以前のピークの時点においても日本の臨床研究のアウトプットはアメリカの5分の1と大きな差があった。
演者は、その要因の一つに、今から60年ほど前に米国の臨床医学に芽生えた新しい流れに注目したい。Kerr White, Alvin Feinsteinらによって、臨床医学と疫学・統計学を融合させて、医療そのものを研究対象とし、医療の質を改善しようという、地味ではあったが実は壮大な試みが開始されていたのである。それはドイツ流の「疾病のメカニズムを解明する」というこれまでの医学研究のパラダイムとは一線を画するものであった。この萌芽が、現在の臨床疫学やEBMの源泉となっている。演者は、明治維新以来150年を経て、生命医学研究と臨床研究との間に著しい不均衡が存在している日本の臨床医学にバランスをもたらす鍵が、この臨床疫学にあると考える。
ではどうするか? YouTubeで、文部科学大臣、ノーベル賞受賞者、起業した研究者らのパネルを見たが、日本の大学はどんどん凋落していることだけは明らか。大学からは、運営交付金制度の復活、若手のための公的な基礎研究費を増やせという意見が強い。ただ、それだけでは不充分だと感じる。研究費そのものは米国や中国を別として、日本は世界トップレベル。それなのに欧州、アジア諸国に劣る。大型公的競争的研究費の配分方法、大学内のサイロ、若手人材の横と縦(時系列、産学間を移動)ね流動性不足、など制度や文化を変える必要を感じる。でも日本はなかなか変わらない。であれば、できることから始めるしかない。小さい新しいモデルを作り、成功例を見せるしかない。その一つが無予算で15年間継続している京都大学 臨床研究医育成プログラム(MCR)である。http://www.mcrkyoto-u.jp/ 大型研究費の一部は、優れた臨床研究を学び実践する院生の給料にすべきで、それが日本の未来への投資であり、「無駄使い度」が最も少ない。(米国は約30年前から戦略的にやっている)

福原 俊一 (ふくはら しゅんいち)

京都大学​ 教授、福島県立医科大学​ 副学長
略歴:
北海道大学医学部卒、横須賀米海軍病院インターン、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)で総合内科研修後、循環器・総合内科臨床に従事.1990年、Harvard大学客員研究員(MSc)、東大医学部講師を経て、2000年、現職.東大教授併任(-2002年).米国内科学会専門医・マスター(MACP).2015年、世界医学サミット会長(Berlin). 日本臨床疫学会 代表理事
近況:
2020年3月に、京都大学の教室開講20周年を迎え定年退職します。111名の大学院生が在籍、85名が学位取得、卒業生の約70%がアカデミアで活躍(うち教授9名)しています。MCRプログラムも200名以上の修了者と7名の教授を輩出。前者から約500, 後者から約1000の英文原著論文が発信されています。今後は一研究者として研究を継続するとともに、Johns Hopkins大学の客員教授として日本programのお手伝いをする予定です。